東方 パチスロ

東方 パチスロ

※「国王直属総務部」 これは筆者の造語です

多くの著作で「国王個人業務課」とされるセクションですが、一体何をする部署なのか分かり辛いのでこうしました

簡単に言えば「国王の軍事補佐官」です

本来は陸軍省の内局でしたが軍人の人事権は国王にあり、人事局長は高級副官として側仕えしたため国王と直接話すことが出来、ヴィルヘルム1世に気に入られたマントイフェルは国王からのお墨付きを得て、1858年に「軍事内局」との名称にして陸軍省から完全に独立し、何をするにも陸軍大臣の許可を要さない存在となりました

ヴィルヘルム1世を通じて軍部の人事権を握ったため、マントイフェルは当時の陸軍大臣グスタフ・フォン・ボニンと権力争いを演じました

 この頃、参謀総長だったカール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ライヘア歩兵大将が死去し、1857年10月19日、後任はライヘア将軍が重用していた次長のモルトケ少将となります

あなたも好きかも:不二子 パチンコ 甘 セグ
これは陸軍人事を握っていたマントイフェル少将が推薦し決定したもので、もしマントイフェルが他の人間を推していたら、歴史は確実に別の方向へと進んでいたことでしょう

あなたも好きかも:カジノ 韓国 語
一見、死去した人間が後任に有望と見ていた人間に主命が下った訳で、何もおかしな点はありません

しかし、権力構造的に陸軍省と参謀本部より上に居たいマントイフェルとしては、今のところ自分の下位に甘んじ大人しくしている組織の長が、どれだけ有能だろうが野心的な人間(後のヴァルダーゼーのような)になって貰っては厄介な訳で、初老(57歳)で無名、寡黙でひょろりとして学者然とした(数年経てば引退する可能性が高い)人物を推したのは当然といえば当然と言えます

モルトケは少将だったため(参謀総長は当時中将以上が就きました)先ずは代理となり、翌58年9月18日、正式に参謀総長となりました(中将昇進)

モルトケの先代参謀総長ライヘア モルトケの参謀総長就任時、プロシア軍には64名の参謀士官がおり、参謀本部で研修に励む参謀の「卵」が30名在籍していました

あなたも好きかも:シンフォギア パチンコ 調
この研修中の参謀は多くが陸地測量部(地図課)に配されており、地図課は優秀な参謀の「ゆりかご」となるのでした

普墺、普仏で活躍する参謀の殆どはこの時期にこの学級のような小所帯でモルトケの指導を受けているのです

 正しくモルトケは前任者ライヘアが行っていた陸軍省や旧・国王直属総務部、今や「軍事内局」と誰もが間違いようのない名前となった組織との政争に巻き込まれぬよう、参謀本部を「目立たず静謐でアカデミックな」、まるでミッションスクールのような組織に保とうとするのでした

 この「沈黙」はマントイフェルやボニン陸相にとってもありがたいことで、無害であれば幸いと参謀本部は権力の茅の外に置かれ続けますが、それはモルトケにとっても変貌中の参謀本部にとってもありがたいことでした

 この外野に煩わされない環境でモルトケは自身の考える参謀の姿を「弟子」たちに教え、頭の良い弟子たちはそれまでにない新しい時代の参謀へと成長して行くのです

 その参謀の姿とは、知的・博識であり与えられた範囲の中で誰に示唆されるまでもなく自分で考えた最良の答えを導き出す「副指揮官」でした