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セダン城の南11キロ)○軍本営 ムーゾン(同南東14キロ) 独大本営は9月4日にヴォンドゥレスからルテルに移動し、9月5日の夕刻、第三軍が確保したランス*(後述します)に至ります

ヴィルヘルム1世とモルトケ参謀総長はこの地でパリへの進撃を統制しようとしました

 大本営が両軍に要請したパリへの行軍計画は4日までに大本営の手に渡りました

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 この計画を眺めると、マース軍は9月12日にラン~フィム(ランの南方でランスの西北西26.3キロ)の線に到達予定でしたが、第三軍の方はその左翼(南)側で急進撃を企てており、10日には既にドルマン(ランスの南西35キロ)~セザンヌ(ランスの南南西63キロ)の線にまで前進しようとしています

 これでは12日の時点でその左(南)翼がセーヌ河畔にまで達する第三軍とマース軍との間隔は大きく開いてしまいますが、第三軍の右翼に連ねようとしてこれ以上マース軍の行軍を早めることは、捕虜や負傷者の後送による後方連絡線の混雑状況や、兵站物資の補給状況などからして不可能に近く、また、マース軍はヴルト戦(8月6日)からボーモン戦(8月30日)まで会戦の間隔が開いていた第三軍と違い、独仏ザール沿岸国境の戦闘からメッス近郊の激戦(8月16日から18日)を経て1ヶ月に及ぶ断続した戦闘と行軍を経験しており、将兵は勝利の美酒に酔って意気軒昂ではあるものの疲弊度は激しく、少なくとも数日間は休養を与えたいところでした

 これらを考慮し、独大本営はそれまでの「第三軍を先行させマース軍を続行させる」計画を変更して、9月7日、以降の行軍方針を定めます

 この新たな計画では、アルベルト・ザクセン王太子率いるマース軍は、直接パリの北方へ向かうこととなり、このため左翼(南)行軍列はマルヌ川の造る河岸段丘上を行くこととして、第三軍との境界をマルヌの谷を通る街道(現国道D3号線とそれに続く諸国道)以北に定め、騎兵を活用して前方及び右翼(北)側を探って必要ならば更に右翼北側へ進むことも可能、とします

 フリードリヒ普皇太子率いる第三軍は、パリの南方へ向かい、このため右翼(北)側をマルヌ谷の街道上に置き、行軍列をその左翼(南)側に展開させつつセーヌとマルヌ両河川の間を西進することとなりました

 両軍の兵站部門は今後、軍が更に西進することで後方連絡線の護衛が手薄となる事が必至なため、大本営ではW師団を一時ランスに留め置いて兵站線と後方警備に充てることに決します

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 既に後方連絡線上では各地で義勇兵が暴れており、また地方住民たちも義勇兵を助け、アルザス北部とロレーヌ地方の占領地には不穏な空気が満ちていたのです

 とはいえ、パリの攻囲には出来る限りの兵力を集中しなくてはならないため、独大本営は「W師団も比較的短時間で任務を他に譲り、敵の首都へ向かわねばならない」、として9月8日、メッス攻囲軍司令官フリードリヒ・カール王子に対し、「近頃来着したメクレンブルク=シュヴェリーン大公率いる独第13軍団を包囲任務から外し、モーゼル川一帯とその西部(ロレーヌ、シャンパーニュ、アルデンヌ地方)の占領地警備に充てよ」と命じるのでした

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 この命令により、大公軍団の1個師団がシャロン(=アン=シャンパーニュ)とランスまで前進することとなり、この師団が到着次第、W師団はパリの包囲網へ加わることとなります

また、独第13軍団の残り1個師団はモーゼル流域警備の手始めに普軍の攻城砲部隊と協力し、後方連絡線上の障害となっているトゥール要塞を攻略することとなりました

 同時に大本営は、2個軍団を率いてセダンで会戦の残務整理をしているB軍のフォン・デア・タン大将に対し、「出来る限り早急に任務を完了させ、普第11軍団はルテル~ランス経由で、B第1軍団はアティニー~エペルネー(ランスの南24キロ)経由で、それぞれパリ方面へ前進させよ」と命じるのでした

※注 ここまでの「ランス」とはシャンパーニュ地方のReimsです